多様性について

最近ラッキーなことに、趣味の多様化がすすんできています。


僕はやたらとうるさい音楽が好きなんですが、
太平洋戦争も終わったこの寛容な世の中のおかげで、
座敷牢に鉄仮面をつけて閉じ込められたりしないですんでいます。


また、僕の友達にはオカマの風俗にしか興味ない人とかいますし
時代が時代であったらならば、その僕の友達は
座敷牢に鉄仮面をつけて閉じ込められたりするのでしょう。


話は変わって
最近同僚の子供が生まれるんですが、
その同僚の彼は一重瞼で、
子供が女の子で、一重だったらどうしようと悩んでいるようです。


ちなみ僕は一重瞼の女の子も好きですし、
一重瞼フェチって男性も、世の中に結構いるかと思います。
いやならマイケルジャクソン的に言う「成長(美容整形)」すればいいだけの話です。


ざっくり言うと、
女性は美しさには敏感ですし、
いまの日本だと一般的に女性は目が大きい方が「美しい」と言うことになってる。


さて話は変わりまして、
タイにカヤンという民族がいて、彼らは首長族とかよばれてたりするんだけど、
女性は首を伸ばす風習がある。


彼女達がなぜ首を伸ばすのか、理由が諸説ある。
その中に「美である」と言う説がある。


ふぅむ。


首長族というとキワモノ的な扱いにされるけど、
目を大きくするのはOK。


数世紀後に「21世紀の日本人は目を大きく見せる風習があった」
なんてキワモノ扱いされ、目を大きくしようとした人々が
座敷牢に鉄仮面をつけて閉じ込められたりするかもしれない。


まぁ、結局文化的な違いでしかないんだなぁ。と思った。


なので、大変わかりづらかったかとと思いますが、
「文化的な違いにはみんな寛容になりましょう!」とか
「美的感覚にもいろいろあると知りましょう」
って話。